天気の事を考えるということは、平和なのかもしれない
こんにちは、ドロンパ院長です。
最近とっても暑いですね。
でも暑い暑いといっていてもしょーもなすぎるので、暑いということにかけていろいろ考えてみました。
日本で天気の話がでたら終わり?
タイとかシンガポールで育った人に言われました。海外から見るとそんな風に見えるのかな??
天気の話がでると「あなたと話していてもおもしろくないです。会話のネタも尽きました。」ってなってるということでしょうか。
でもタイでもシンガポールでも「今日は暑いですね」「明日は雨ですかね」とか、そんな会話ぐらいしてない??
インターネットの発達によって、通信コストが圧倒的に安くなり、手軽になりました。
どこかの本で読んだ覚えがありますが、昔はそれぞれの国で文化もかなり変わっていたのですが、今はほとんどの国で似たような生活をしているそうです。
つまり日本にいようが、タイにいようが、マレーシアにいようが、似たような生活はできる。若い子はyoutubeやtiktokに夢中だし、年寄りはITの進化についていけない。
治安の良し悪しや、法律もさまざまなので、一概には言えないけど、国単位じゃなくて、地球単位でものごとを考えたほうが納得いくことも多くなってきた。
ということで、地球単位で考えたところ、こんな結論に。
「海外でも天気の話ぐらいするやろ!」
天気のことをぼーっと考えていたら終わり?
仕事中というのは、常に意識をピリピリさせて一生懸命に取り組んでいます!
って人はほとんどいないと思います。
どんな仕事でも気の抜けるタイミング、ぼーっとしている時間があると思います。
その時にスマホをいじる人もいるでしょうし、何も考えずにぼーっとする人もいるでしょう。
私はどちらかというと、ぼーっとするのが好きですが、そのときにぼーっと天気のことを考えていたのです。
「窓から見える景色は晴れてるけど、夕方は雨が降るかなあ」
ってなもんです。
今、私は個人的に生活が落ち着いているので、こういうことを考えたのかもしれません。
確かに仕事が忙しいとか、私生活も忙しくて余裕がない時は、こんなぼーっとした時間はとれていなかったので、天気がどうだとか考えることはなかったように思います。
ということは、ぼーっと1人でいるときに天気のことを考えているということは、精神的に安定しているバロメーターになりえるんではないでしょうか?
スマホをいじりだしたら終わり?
ファミレスとかカフェで休憩していると、ふと目につく光景があります。
それはグループできてるのに、各自がスマホを触ってゲームをしたり、調べものをしているということです。
これは一見「せっかく友達といるんだからしゃべれよ!」と思いがちですが、そうでもなさそうということを最近感じてきました。
1人でスマホをいじるより、みんなが一緒の空間にいて、スマホをいじるのってまた別の楽しさがありませんか?
なにかのWEBページを見て、「なあなあ、見てこれ!!」って言えたり。
だから、個人個人でスマホをいじっているように見えて、時間の共有はできているわけです。はたから見るとそうじゃなさそうですけど。
そういえば、昔友達の家に集まって、お菓子を食べながら、ドラクエとかファイナルファンタジーをやる、という遊び。誰しもやった記憶があるのではないでしょうか?
マリオなら同時プレイもできるかもしれませんが、RPGゲームは基本1人でじっくりとやるものです。
でも複数人でやるRPGゲームは、それはそれでまた別のおもしろさがありました。ゲームは、やるよりも見るほうが好きっていう人もいますしね。
スポーツでも観戦する人のほうが人口多いし。
他人の楽しみ方を理解できないのは年をとった証拠だと思っています。そりゃ理解となるとかなり難しいけど、よくよく考えればいろいろわかってくるはず。
頭ごなしに「けしからん!」と決めつけずに、一旦立ち止まって考えてみようと思いました。