狩野一峰の思考錯誤

言いたいことも言えないこんな世の中だからこそあえて本名で

口がくさいやつは信用できない、って話

こんにちは、ドロンパ院長です。

昨日、とある人と話していて、ある真理をつかんでしまったので記事にします。

その人と話していると、だんだんヒートアップしてしまって、声も大きくなってきました。その人が話すたびに攻撃されているような気分。

しかし耐えるしかない。向こうは真剣だ。こっちも真剣ににおいと戦っている。話の内容は全く入ってこない。

こんな状態が3分ぐらい続いてしまい、早く話を終わらせました。う~ん、ドラクエでいうと「逃げる」を選択した感じ。

口がくさいと話に集中できない

この一言に尽きる。

どれだけ熱心に、面白い話や為になる話をしていても、口がくさければすべて終わりである。

アメリカでは風邪をひくと「自己管理ができていない」みたいな風潮がある。今でもそうなのかは知らんが、日本では口がくさいことのほうが問題だと思う。

そりゃ風邪ぐらいひくやろ。いくら運動して食事も気にしていても風邪はひく。肥満とか高血圧のほとんどは、自己管理ができていないと思うが、口臭もそれと同じだ。

特にオッサンと呼ばれる人種(自分もそうだが)は、人一倍自分の口臭に気をつけなければいけないと思う。普通にしててもくさくなってしまうからだ。

ある程度仲の良い人なら、「ちょっと口くさいで」と言う。意識のある人なら「ありがとう」と言って、フリスクを摂取する。

が、言えない相手のほうが多い。

特に女性。最近は女性もタバコを吸うし、食生活の欧米化のせいか、けっこうくさい人に遭遇する。服装はバッチリ決めている人も多いので、さすがに言えない。

みなさんはこんなときどうしてるだろうか?おそらく本人は自分の口がくさいなどとは、夢にも思ってないはずだ。

知らせて、直してもらうか、そのまま永遠に放置か。これは女性で鼻毛がとびだしている時と似たようなシチュエーションかもしれない。

ストッキングの伝線は容赦なくいいますが。

特に向こうが話している時は、耐えなければいけない

スカラ、プロテス、マホカンタ。なんでも良い。魔法を使えるようにしてくれないか。

会話というのはコミュニケーションである。オッサン同士の会話であれば、誰かがしゃべってるときに急に入ってきて、二人が同時にしゃべってる、という状態もいいのであろう。

だがしかし、誰かがしゃべってる時は、聞く側はしゃべってはいけない。

呼吸をとめるわけにもいかないので、鼻はしゃべり相手の中古の息を吸うことになる。

鼻が、呼吸と嗅覚という2つの役割をハイブリッドでできることによる悲劇である。

「口呼吸でやり過ごせ」

と言われそうだが、それはそれでなんか嫌じゃない?

どこかで似たようなシチュエーションがあったな、と思っていたら、公衆トイレの話だった。

駅とか公園の公衆トイレに飛び込むと、30%ぐらいの確率で流されていない汚物に遭遇する。

流していけよ!と思うが、不思議に思うのは、紙がないということだ。つまり汚物だけなのである。ケツふかないで、ブツも流さないでズボンをはいたのだろうか。

いや、そんなことはどうでもいい。

つまり公衆トイレに飛び込んだ時に出くわす、あの最悪な状況とかぶる。

私は、この状況になると「鼻呼吸でにおいがするのもいや」「口呼吸で自分の体内にとりこむのもいや」なので、息をとめる。

限界がくると、しょうがなく口呼吸をする。しかし口は極小にしか開かない。なんとなくこれで体内に入れてないような気がするからだ。

公衆トイレではこの作戦が利用できる。

しかし口臭がきつい人の前でそんなことはできない。

タバコ+缶コーヒーで無双化する

なぜ口がくさい人は、このゴールデンコンビを好むのだろうか。

タバコと缶コーヒーは口の中で化学変化を起こして、激臭をはなってしまうのだろうか。最近は蒸気加熱式のタバコもでているから、あれなら少しにおいはマシな気がする。コーヒーも、コンビニの挽きたてのコーヒーはそんなに悪いにおいを引き起こさない気がする。

缶コーヒーは、なぜああも激臭に変化するのだろうか。糖分なのだろうか。

そういえば、ブラックの缶コーヒー+電子タバコの人はマシな気がする。

フリスクでは限界の、胃からくるにおい

胃でうまく消化できてない人。これは悲劇だ。食べたものが原因で口から異臭をはなってしまう。

胃をちゃんと働かせるには、よくかむこと。これにつきる。よくかむことによって、食材は細かくなり、消化しやすくなる。胃に負担をかけないし、胃以外の臓器にも十分にパワーがいくので、体全体が蘇ってくる。

しかしここでまたオッサンの性癖だ。

私はラーメン屋でバイトしてた時期があるのでよくわかるが、とにかくオッサンというのはラーメンの「カタメン」が大好きである。

はじめていくラーメン屋でも「カタメン」を注文しやがる。食べ方はまあ自由だと思うが、ラーメンなんてものはデフォルトが一番おいしく感じるように作ってある。

カタメンをよくかんで、胃に落とし込めばいいが、カタメンを食べる人は、だいたいビックリするぐらい食べるのが速い。なにに追われているのか、タイムアタックをしているのか知らんがとにかくはやい。

若い頃は、それでも胃がちゃんと働くので、消化不良になって口臭を発生させるということはないだろうが、人間誰しも年をとる。

年をとると胃の働きも弱くなる。胃の筋トレなんてのはできないので、食べ方を変えるしかない。

口がくさいやつは、好きなものを好きな食べ方で食べることすら許されない。

スメハラは職場だけの話ではない

職場の上司の口がくさい、という人は悲劇としか言いようがないだろう。

口が臭いやつを尊敬しろ!というほうが難しい。そんな上司の言うことは、まったく耳に入ってこないだろう。

しかし、問題なのは、スメハラというものは公共の場所で起こりえるということだ。

特に接近してしゃべるような仕事(接客とか営業とか)の人は要注意である。

最近の若者は鼻がいい。素晴らしい香りも人一倍取り入れることもできるが、そうでないにおいも取り込んでしまう。

オッサンは加齢臭のような、「体臭」を気にしがちだが、口臭のほうが武器になる気がする。

昔、王将の餃子を食べすぎて「汗から餃子のにおいがしてくるんスよ!」みたいなやつがいたが、その会話をしている時に「餃子のにおい」の口撃を受けていた私は、話の半分も入ってこなかった。

人に信用されるにはまず見た目を、とかおもしろいトーク術の本とかもあるけど、まず大前提として、口臭は「無」にすることが最優先ではなかろうか。

f:id:kazumine50:20181115103518j:plain