嫌いな食べ物の破壊力から、人間関係を考えてみました。
こんにちは、ドロンパ院長です。
今日は嫌いなものの影響力について考えたいと思います。
突然ですが、あなたは何か嫌いな食べ物はありますか??ない方もいるかもしれません。ない方はこれ以上読んでも意味がわからないかもしれません。
ちなみに私は納豆を食べることができません。何回かトライしてみましたがどう頑張ってもダメでした。あとはそこそこ食べることはできるのですがアボカドやゴーヤなんかは好んで食べません。
私の場合を例にだしますが、例えば白ご飯に納豆が一粒だけ混じってたとします。元々存在感や香り的にかなり主張してくる素材ですが、一瞬でわかりますし間違えて口に入れたとしても一発でわかります。
また別のたとえですが魚介がダメ、という友人がいます。魚介そのものはもちろんのこと、魚介の出汁もダメです。ラーメンでも鍋料理でも少しでも魚介のエキスが入ってるとわかるそうです。身体が拒否反応を起こすとか。アレルギーとはまた別で単純に味が嫌いということです。その友人は自他共に認めるバカ舌です。
私自身もそんなに味の違いがわかるかと言われれば怪しいもんです。
嫌いなものってこれだけのパワーを持っています。単純にわかりやすいかと思って味覚を例にだしましたが、嗅覚でも聴覚でも似たようなものだと思います。
嫌いな臭いは少しでも強烈ですし、不快に感じる音が鳴っていれば一刻も早くそこを立ち去りたいと思うでしょう。
これを人間関係に置き換えてみましょう。
仕事をされてる方は日々の仕事の中で学生の方は学校の中で、あいつとは合わない、という人が必ずいるはずです。
仕事で言えば上司とか取引先の人はそうなる可能性が高いような気もします。
学校であれば先生とか、目立ってる人はそうなりやすい気がします。
つまり、嫌い=些細なことでも気になるということです。
こんな経験はありませんか?
会社でも学校でもどこでもいいですが、嫌いな人が世間話をしている。それが耳に入ってくる、いやむしろ耳につく。だんだんその声まで腹立ってきた、というようなことです。
嫌いな人が作った風の残り香が最悪、と感じるのもそれでしょう。
内容はどうでもいいのですが、その嫌いな人が話してること自体が腹立たしい、というやつです。声も聞きたくない、同じ空気を吸いたくない、同じ空間にいるのが嫌というやつです。
人の好き嫌いは様々で、合う合わないはもちろんあるのでなんとも言えませんが、おそらく嫌いな理由って大したことないことが多いような気がします。
私の納豆が嫌いなのと同じように、嫌いなものや人は少しのことで凄まじいパワーがあり破壊力があります。
逆に言えば嫌いだけど、そんな大したことないやん、ということです。
そんな小さいことに腹立って時間の浪費をしてるとしたらなんともったいないことでしょう。
たかが一粒の納豆など、その部分だけ捨ててしまうか思い切って食べてしまえばあとは白ご飯のファンタジーが待っています。
こう考えることができれば、日々の人間関係のストレスも大したことなくなるんじゃないかなーと思いますがどうでしょうかね。